『床の間』を日本の生活に取り戻そう。

 

 

日本の生活に床の間を取り戻そう。

 

私達にとって馴染み深い「床の間」は世界中を見渡しても稀にみない日本特有な空間である。

近年その存在がこの国の中から消えさりつつあり、日本人が培ってきた四季を感じる心や文化的教養も床の間の存在と共に失う運命にあるのではないかと強い危惧に駆り立てられる。

 

床の間の歴史

 

床の間の歴史は、床(とこ)という言葉とともに一段高く設けられた上座として奈良時代まで起源を遡る事ができるが、現在に通じる掛け軸や花を鑑賞する場としての形は、茶室という茶を飲みながら日常芸術を体感するという場が確立されてからである。

時代の流れを俯瞰してみると仏教の禅宗が日本に入ってきたのが床の間の成立に大きな影響を与えた。

はじめ床の壁には法語や仏画の軸がかけられ、僧侶の信仰を表す場であった。仏や神には花をお供えするために花飾りが必要になってくる。床の間が無意識のうちにも神聖な場として扱われるのもこのような成り立ちの由縁からであろう。

しかし同じく禅宗の思想から発展した茶の湯が大成していくにつれ、それは信仰の対象としてではなく亭主と客が各々の精神世界を融和させる為の審美眼的装置をも担う場になったのである。

日本の建物が書院造りから数奇屋造りに移る過程で茶室という茶を飲むだけの特異な空間が確立されると多くの茶人達によって様々な形式の床の間が追求された。

江戸時代に差し掛かかると賓客を迎える客間の座敷飾りの一つとして武家や一部の裕福な農民に広がり、明治に入ってからは庶民が設けることは禁じられていたのが解禁され、大正にはその惰性的な取り入れ方が批判されながらも四畳半一室の家にも床の間が設けられるほどに私達日本人の生活には切り離せないほど身近な存在になった。

しかし日本が高度成長期を迎え経済的にも豊かになり家にも物が溢れ新三種の神器と呼ばれるTVが一般家庭に普及されはじめると床の間はその役割を利便性と引き換えに日本人に無用とされる扱いに変わっていく。

そして西洋化された生活様式が基準となった日本人に用無しとなった床の間は現在、DIYの流行とともにペンキで塗りつぶして収納にしてしまうのが世の流れのようだ。

 

床の間は日本人の自然観を表現する場

 

 

こうした時代の流れとともに消えゆく運命にある床の間であるがはたしてその存在は私達日本人にとってどういった意味合いを持っていたのであろうか。

パリを抱えるフランスなどの欧州には芸術文化が生活に根付いている一方で、日本という国には生活に芸術が密着していないと折に触れて比較される事があるが、しかし私にはこの「床の間」こそが、明瞭風靡な四季に囲まれて育んだ日本人の精神と藝術性を日々の生活の場で表現してきた場所だと考える。

床の間に飾られる装飾品である掛け軸一つをとっても、日本人の持っている「移ろい」という現象的な側面を、情緒的な感覚で捉えていることが分かる。

欧米諸国では絵画、花瓶、等の数々の芸術品は壁一面に並べられその豪華に陳列された品々は富と権力の証として誇示されるのであり、また家主は自らの趣向性をその絵画や写真などの芸術品に託し来客に示すのである。故に絵画などは一度その場に飾られたら生活や趣味性が変わらない限り基本的に動かされることはない。

日本の床の間に飾られている軸や花入が欧米での絵画、花瓶に値するものであれば、蒐集品の中に持ち主の趣向性が含まれる部分は欧米のそれと大きな違いはないが、床の間で行われる陳列の方法には日本人が長くに培ってきた特有の精神が現れる。

仮に十枚の絵があったとすると欧米では応接間にて全てが同時に飾られるであろうが、日本の床の間に置いては様々な条件が考慮され一つの軸のみが選ばれるのである。

この絵画と掛け軸における感覚の違いが現代の私達の生活の中で未だに絵や写真を家に飾る習慣が根付かないと指摘される大きな要因の一つでもあるだろう。



 

そして茶の湯における床の間においては亭主と客人による言葉なき心の対話が繰り広げられる役割を担うのである。

亭主はその日の客人の趣向、四季の移ろい、心情を考慮し、土壁で仕上げられた壁に仏画、ある時は禅語、ある時は山水の軸を飾り、空間の調和を図るように花入に季節の花を活けるのだ。

そこにはいわゆる日本の「おもてなし」の原型であるとともに、比喩や暗喩も含まれる。

そしてその亭主の気持ちを客人は汲み取りつつ、しつらえを楽しみながら茶の席は進められていくのである。

客人が部屋に入ったらまずはじめに床の間に一礼をするのが作法になっているのも茶事における床の間の重要性を表している。

一際狭い茶室においては床の間を通じて、少しばかり言葉を交わせばお互いの教養、審美眼、真意といったものが意識せずとも全て表面化してさらけ出されてしまうのだ。

その場の空間を機敏に読みとり本意は表に出さず形で示す日本人特有のコミュニケーション方法は床の間の発展とともに培われてきたとも捉える事もできるのではなかろうか。

明治以降に床の間が庶民一般に広がってからは、正月には祝いの言、桃の節句には立雛図などその季節ごとの軸を掛け変え、四季の移ろいとともに空間のしつらえを楽しみながら、大切な掛け軸は家宝として代々その家に受け継がれるのであった。

こうして考えると床の間が私たち日本人の精神的生活に多大な豊かさを与えてくれた功績は計り知れないであろう。

伝統とは形を変えながら受け継がれるものではあるが、このような床の間が本来持っていた役割を考えると現在、料亭の一部や普段の生活に見ることができる床の間は形だけを残して形骸化されているようにも思えてならない。

 

 

再び日本人の生活に床の間を

 

今を生きる私達はいま一度振り返って『床の間』の存在意義と近代以前の日本の暮らしではそれと共にどれだけ豊かな精神的な生活が営まれていたのかを省りみるべきであろう。

またそのような精神性の膨らみというのは現代を生きる数多くの日本人が渇望しているものではなかろうか。

利便性と合理性の追求のはてにその存在が消えてしまうことは四季を感じ自然を愛する心、古典の教養などの精神面とまたその調度品である掛け軸や花入の存在性の物質面との日本の文化を失ってしまうことにあたる。

 

私は消えさりつつある床の間をこの国から絶やさないように

またそれが再び私達の生活に寄り添ったものになるようにその魅力を発信したいと強く思い

自宅の一角の四畳半の部屋を茶室としても使えるよう拵えて床の間の歴史を踏み解きながら

自らの手で再構しその魅力を広く発信していきたいと願う一人である。

 

 

 

 

 

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