千年の歴史が紡ぐ瀬戸焼。セトモノの起源と現状を探し求めて感じた事。瀬戸の観光スポットと窯元巡り
CAMP×TRAVEL
2025.06.25
瀬戸焼という聞くと、どういったものを想像するだろうか??
自分もそうであったが、焼き物というのは分かるがいまいちどんなものなのかピンとこないのが大半の人の現状ではなかろうか。
ひとくちに瀬戸焼といっても多くのうつわがある。
大量生産され全国に出荷された磁器、茶の湯や歴史好きに馴染み深い「織部」や「黄瀬戸」、民芸に見出された一見変わった文様の「馬の目皿」、骨董好きな人にはたまらない「古瀬戸」等。
瀬戸は1000年の歴史を持つ六古窯のひとつで、焼き物の総称を「セトモノ」と呼ぶようになるほどにその長い歴史の中で日本の食卓を彩り多くの文化を生み出してきた。

瀬戸焼は現代にも続く窯の中で日本最古の歴史を持つ
今回は尾張瀬戸駅から徒歩で一日、瀬戸の町歩き回ったのを機に、
観光スポットの紹介を兼ねて瀬戸焼のルーツと現状を思考を巡らせながら記したいと思う。
まずは尾張瀬戸駅へ向かう
名古屋中心地から名鉄瀬戸線にて30分程で終着駅である尾張瀬戸駅に着く。 そのまま、5.6分ほど大通りを直進すると瀬戸市が管理している瀬戸蔵ミュージアムに着く。 瀬戸についたら焼き物、窯巡りを我慢してまずは瀬戸蔵に直行してみよう。

瀬戸蔵ミュージアムは瀬戸市の財団法人が運営している博物館であり朝の9時から開館しており入場料は¥500-という安さ。
館内展示室の2階にはかつて使われていた瀬戸電車が置いてあり、瀬戸が焼き物で盛んだった時の陶房(モロ)が忠実に再現されていたり、焼き物ができ上がる工程が分かりやすく展示してある等、とりあえず瀬戸焼きについての全てが分かるようになっている。

二階の風景
そして圧巻は三階の陶磁器の展示室だ。
これぞ瀬戸焼と言わんばかりの、前身である猿投窯から現代に到るまでの瀬戸で焼かれた膨大な陶磁器が歴史順に並んで分かりやすく展示してある。
ここを覗けば瀬戸焼きの歴史がどういったものであったか体感的に分かるはずだ。

ここの展示は、多くの気付きを与えてくれる。
例えば、利休の弟子でありの大茶人の古田織部が好んで指導にも関わった緑や黒が映える織部焼だが、少なくとも13世紀に焼かれた古瀬戸に既に自然釉薬による緑軸の壺がみて取れる。 その自然にできた緑がかった陶器はとても美しくこうしてみると近年、織部焼と名して売られて物には緑が鮮やかに強すぎてどうしてもあざとく感じてしまう印象を受ける。
他にも、馬の目皿や柳青皿、志野焼等、陶器好きはもちろん初めて瀬戸焼の事を知る人もその歴史と陶器が分かりやすく展示してあるので瀬戸焼きの事を深く知れば、より観光も楽しめるはず。
まずはここで眼を養ってから瀬戸の町に焼き物を巡るのがオススメだ。
その瀬戸蔵ミュージアムの道を挟んで向かいには大正時代に立てられた建築物が趣のある和菓子屋、川村屋賀栄がある。
創業は江戸時代末期にさかのぼる老舗で名物は酒で作られた瀬戸川饅頭 。 1個 単位105円で買えるので瀬戸散策のお供に寄ってみよう。
愛知県瀬戸市にある和菓子屋「 #川村屋賀栄 」 創業は江戸時代末期。 名物は1個 (105円)の #瀬戸川饅頭 。 歴史を感じさせる建造物 の中でお茶を頂きながら和菓子は格別に美味い。瀬戸散策に饅頭を片手頬張りながら向かった先はこちらから歩いて五分足らずの所にある深川神社。

こちらの神社には瀬戸でやきものづくりを始めたと言い伝えられる陶祖 加藤四郎 が祀られており、 境内にある陶彦社の中にはその藤四郎が鎌倉時代に焼いたと云われる陶器製の狛犬が奉納されている。
しかしどうやら本物は残念なことに盗難にあい一対の内の一方しか現存せず、実物は流石に国宝扱いで崇めないらしい。陶彦社の拝殿内に陶器製の狛犬が鎮座しているがそちらは比較的、新しく焼かれたものとのこと。
ちなみにここに来る途中の商店街には行列ができるうなぎの名店、田代がある。
この日も多くの人が並んでおり軒先からいい蒲焼の匂いが立ち込めていたが、この日の目的は食にあらず瀬戸焼を知る旅であったので、寄らずに先を急いだ。
深川神社から更に南下して小道を抜け高台を少し登った所に茅葺の建物が美しい『無風庵』がある。

こちらの建物は無料で入れる ギャラリー兼休憩所を兼ねていて、 明治に活躍した芸術家の藤井達吉がその弟子達と工房を移築したものである。 この藤井達吉という方の存在をこちらで初めて知ったのであるが愛知を中心に活動した工藝家であり、陶器、水墨画など様々な芸術を軸に日本に生活芸術を提唱した人物らしい。 室内の襖には氏が残した美しい水墨画が数点残っているのとそのお弟子さんの作品が展示されている。
内装は比較的、新しく改装されており、こちらでは無料にも関わらず中で休憩ができ心暖かい女将さんからお茶まで頂いてしまった。
高台にある庭にはタンポポが咲いていて耳にするとセイヨウタンポポが多くみられる近年ではセイヨウタンポ珍しい在来種種のものが自生している。
高台から更に奥に進むと 藤四郎が陶祖なら瀬戸に磁器をもたらせたと云われる磁祖・加藤民吉が、祭られている『窯神神社』がある。
当時日本では陶器しか焼かれていなかったが、上質な土に恵まれた瀬戸は関東に一番近い窯場として多くの陶器を焼き栄えていた。 しかし江戸の初めに入ると九州の方に磁器の制作方法が持ち込まれた。
これがいわれる主に有田や波佐見で焼かれた伊万里焼の始まりだ。 以前、宋から持たされていた磁器は貴族の高級品としての扱いであったが、日本で大量に生産が始まると、瀬戸焼は次第に市場を奪われ、衰退する。 その瀬戸を救う為、磁器の製法を九州に学びに行き瀬戸に持ち帰ったのが 加藤 民吉だ。

日本全国の食卓を彩った新製焼
いわれる焼き物を『セトモノ』と全国で呼ばれるように印象づけることになったのも磁器の器が瀬戸で大量に焼かれることに現代、瀬戸焼きと呼ばれるものはこの磁器の焼き物をイメージされる方が多い。
瀬戸焼きではこの後に多く焼かれることになった磁器を『新製焼』それ以前に焼かれていた伝統的陶器を『本業焼き』と呼び区別している。
ここからは瀬戸に残る本業焼を探す旅路に出よう。
一度尾張瀬戸駅週辺に戻る。 駅付近は、銀座通り商店街と瀬戸川を中心に多くの瀬戸焼きを売っているそこには安価に買えるセトモノや、織部焼、瀬戸を中心に活動する個人作家を中心に多くの店が連ねるが、先程、瀬戸蔵で見たような昔ながらの雑器のような焼き物を今回手に入れたいのだが、なかなかそういった品が置いてある店が見当たらない。そこでお店の人に尋ねて見ると近くに一件だけ、馬の目皿をずっと焼いてる窯元があると教えて頂いたので向かってみた。
訪れたのは、
深川神社から坂を登った位置にある『岩右衛門窯 丸岩製陶所』

一見、場所が分かりづらく展示スペースも鍵が閉まって空いてなかっただが、隣のインターホンから、中に入れさせて頂いた。
おそらく伝統的な馬の目皿を買えるのは 瀬戸焼き物多しけれどここのみであろう。
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渦巻き文様が特徴的な馬の目皿は江戸時代後期から代表される瀬戸の焼き物だが現在、多く売られているものにはレプリカの様なものがほとんどで仮に売ってたりしても、ここまで自然に力強い絵付けのもの少なく、日常に使うには価格が高かったりする。
満足な買い物をしてから尾張瀬戸を渡り瀬戸の本業窯が残っている方へと向かった。
商店街を抜け住宅地をぬける道中の公園には瀬戸焼きのタイルを使って作られたベンチを発見した。こちら瀬戸では町のいたるところに焼き物をあしらって作られたものが沢山あり、散策する者の見る眼を楽しませてくれる。

さらに小道を真っ直ぐ進むと、辿りつくのが宝泉寺というお寺。

曹洞宗の寺院でありこちらの本堂の頭上には瀬戸焼きを作ったタイルの絵が見る事ができる。この日は扉もあいておりそのまま本堂にはいれたので、しばし誰もいない中で座ってみる。風の音、虫の音だけが響く寺内の静けさをとても気持ちが良い。

この〜寺の脇道からが小経の道の入り口 になる。 小経の道は、狭々と入り組んだ瀬戸の古屋が立ち並ぶ街並みの塀に瀬戸焼きで使わされ瓦や〜を掘に使われた日本のもったない文化が垣間見える美しい掘だ。