― 初源・初期・柿右衛門・藍九谷の魅力と価値 ―

古伊万里

古伊万里の価値と見分け方|様式と歴史の手引き

初源伊万里から柿右衛門、藍九谷まで―。時代を超えて受け継がれる器の美を、様式ごとにひもときます。

① 古伊万里とは何か ― 定義と名称の広がり

「古伊万里(こいまり)」とは、江戸時代に佐賀藩領・肥前国有田を中心に焼かれた磁器を指す呼称です。狭義には17世紀初頭から18世紀中頃にかけて焼かれた、有田焼の初期作品を意味しますが、広義には明治以前のおよそ江戸時代までに焼成された伊万里焼全般を含めることが多く、今日ではその意味は文脈によって異なります。

伊万里焼という名称は、焼かれた土地(有田)ではなく、出荷港であった「伊万里津」に由来します。山間に点在した窯から焼かれた磁器は、伊万里港に集められ、全国へ、そして海外へと運ばれました。このため、江戸や上方の人々にとっては「伊万里焼」が定着した名となり、実際の生産地が有田であることは、一般にはあまり意識されていなかったようです。

さらに、古伊万里という言葉には、ある種の愛好家精神や美術的価値観が込められています。現代の骨董市場においては、「古伊万里=江戸時代の伊万里焼」として一定の価値判断がなされ、とりわけ17世紀前半の初期伊万里や、柿右衛門様式、藍九谷といった絢爛な色絵磁器は、高い評価と共に語られてきました。

一方で、伊万里焼には「有田焼」や「波佐見焼」といった別称も混在しています。有田は磁器発祥の地であることから、文化財的文脈では「有田焼」が用いられることが多く、また波佐見では江戸初期から磁器が焼かれており、日用品としての伊万里の多くは実は波佐見であったという歴史的背景もあります。

このように「古伊万里」とは、単なる器の呼称ではなく、時代・産地・用途・美意識といった複数の要素が絡み合う文化的な概念です。本稿では、初期伊万里・柿右衛門・藍九谷・波佐見など、その多様な展開と価値の層をたどりながら、古伊万里の魅力に迫ってまいります。

② 初期伊万里・初源伊万里 ― 創成期に宿るやきものの胎動

 

 

古伊万里の源流をたどるとき、まず注目すべきは「初源伊万里(しょげんいまり)」と呼ばれる、ごく初期の白磁の存在です。17世紀初頭、有田の泉山で良質な磁鉱が発見され、朝鮮陶工の技術を背景に磁器の試作が始まりました。この初源伊万里は、まさに磁器への過渡期に生まれた器であり、先行する古唐津の技法と外見的特徴を色濃く残しています。

焼成は白磁ながら、胎土には赤みを帯びた部分や釉薬のムラが見られ、形状も唐津焼の碗や皿に類似するものが多く、磁器というより「硬質陶器」に近い肌合いです。装飾は極めて簡素で、無地またはわずかな染付による線文を持つものにとどまります。この移行期の器は、唐津の土と技術に、泉山の磁鉱という新たな素材が加わったことを象徴する存在といえるでしょう。

初期伊万里 皿 17世紀

続いて登場するのが、17世紀前半を中心に製作された「初期伊万里」です。これは明確に磁器として焼成された、古伊万里最初の染付様式であり、日用品としての実用性と、飾器としての美的洗練が共存しています。胎土はやや粗く、釉薬には鉄分由来の滲みが見られるものの、磁肌は明らかに白く、筆致のある文様が器面を飾ります。

絵付は素朴ながら自由で、草花文・山水図・幾何文様・人物文など、絵師の個性が現れた品も多く、どこか牧歌的な味わいを湛えています。器種も皿、鉢、壺、水注など多岐にわたり、用途の広がりが窺えます。

この時期の初期伊万里は、産業としての磁器生産が未だ確立していない中で、陶工たちが日々の試行錯誤を重ねながら新たな器を創り上げていた、その手の温もりが伝わってくるような作品群です。完成度の高さよりも、その稚拙さのなかに宿る生命力こそが、多くの愛好家を惹きつけてやまない理由でしょう。

こうして初源伊万里から初期伊万里への歩みは、古唐津の余韻を残しつつ、日本独自の磁器文化への幕開けを告げた創造の季節でした。わずかな陶片にさえ、器を生み出した土地と人びとの記憶が深く刻まれているのです。

  • ③ 柿右衛門様式 ― 色絵の極み
  • ④ 藍九谷様式 ― 染付の洗練
  • ⑤ 波佐見焼とその位置づけ
  • ⑥ 見分け方と評価ポイント
  • ⑦ 伊万里ではない器たち(瀬戸・砥部・会津本郷など)
  • ⑧ まとめ ― 美と実用の記憶
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